開花を待つ、桜の蕾の息吹が感じられる、今日の良き日に、
3月3日
この日付を見て鮮明に思い出す記憶がある。
去年、私は3月3日に 成績に於いて歴代最高得点を取得し、首席で学問を修める運びとなった。
あの頃鮮明に思いの丈を言葉へ閉じ込めていたら、きっと今とはまた違う言葉がここにあったのだろうけれど、当時の私は「また新たなスタート地点に立った」と、ときめく学びに目を輝かせながら、リバイスしたものが形になった翌日から新たな勉強に思いっきり手を伸ばしていて、立ち止まって改めて思いを言葉にするという考えがあまりなかったように思う。今の私が、去年の今頃の私に声をかけることができるなら、「そう焦らず、想いは生ものだからね。ちゃんと言葉にして大事な場所にしまうことを忘れては駄目よ」と教えたいです....
何故私情すぎることを今更この場所に書き残すかというと、その背景にいつだって阿部くんの存在があったということ、今日という日に ちゃんと残して置きたいと改めて思ったからです。
私は自分1人の力でその結果を得た訳ではないから。
その結果に私の手が触れる日まで、阿部くんがね、ずっと心のすぐ傍にいました。
その存在が在り続けてくれたお陰で、私は頑張る力になる光を見失うことなく、走り続けられた。
凛々しく、精悍な顔つきで、先陣を切って学びに手を伸ばし続ける阿部くんがいたから、何度も鼓舞されたし、
「道は違えど、それぞれの道で絶対にプロになる」
と、強い意志を持ち続けられた。
目を擦りたくなるような時間に起きて勉強することも、誰より早く学習室に入館して誰より遅く退館することも、「そこまでするの?」と驚かれる勉強方法も、苦になりすぎなかった。
いつだって尊敬する背中が、私の前を走っていたから。
阿部くんの背中に向かって、一生懸命に走る日々は とても楽しかった。眩しかった。決して楽な道ではなかったけれど、振り返ると 綺麗な浜辺を光が差している景色のように キラキラしている思い出になった。
泣いちゃいそうな日がなかったと言えば嘘になるけれど、阿部くんを見ていると「大丈夫」の魔法にかけられている感覚がずっとあって。
めそめそしている時間はきっとひとりぼっちでいるよりも短縮されたし、立ち上がる時間もその分早くなった。
心が折れかける度に「大丈夫。頑張る、負けない」と心が強くなったのは、阿部くんを見る度に抱く安心感が不安を溶かしてくれて、「大丈夫になった?じゃあ いってらっしゃい」とやさしく でも強く 背中を押してくれたから。
この光があれば 私はどこまでも走れる気がした。
どこにだっていけてしまうような気がした。
心が暗い闇の中を彷徨ってしまっても、柔らかで温かいやさしい光を差してくれたから、道に迷うことなく出口まで辿り着けた。
普段阿部くんの光は木漏れ日に近い 温かくて柔らかくてうたた寝してしまいそうなくらい心地よい光のように感じているけれど、困ったときに見上げる阿部くんの光は月夜の晩に、穏やかな月の光が道を照らしてくれているような光だと思います。
阿部くんの存在は「ただ前を走り続けてくれる人」ではなくて、こちら側が立ち止まってしまうときには「大丈夫?」と一緒に足を止めてくれるような、大丈夫になるまで隣で体育座りしていてくれるような、歩けるようになったときに「一緒に行こうか」と手を握って隣を歩いてくれるような、そんな存在でした。
物理的に手が重なることはないはずなのに、阿部くんの言葉はいつもそっと隣にいてくれるような言葉だったから その存在を 近くに感じられずにはいられなかった。阿部くんは 心で隣にいてくれる人だった。
だからね 阿部くんへの好きは、まるでずっと、私のお守りみたいだった。
いくら結果が良くても、コツコツ重ねた努力が実を結ぶことがあっても、日々淡々と努力を重ねられた訳ではなくて。
「今日は頑張れないかもしれないな」みたいな漠然とした不安を抱える日もあって。
「阿部くんすき だいすき 今日もがんばる」
これ私今でもよく言うんです。
朝、お仕事前に。
当時もずっと毎日のように思っていて。
その言葉が私にとってはおまじないみたいでね。
好きって本当にお守りになるなって。その人のこと好きでいられるだけで、なんか今日も頑張れちゃう気がして。また会える日に胸を張れる自分でいたいから、今日も頑張ろうと思えて。阿部くんのお陰で全部が大丈夫だった日が、私にはたくさんあるんです。
あとね、私アクセルだけは1人前に踏むけど、
ブレーキをかけることがとても下手。
「頑張る」と「頑張りすぎる」の境界線の認識が未だに曖昧。
背筋をピンッと伸ばし続けてしまうところがある。
以前、明け方2時頃から6時半頃までコツコツと目の前のことに立ち向かう土台を作っていたときがあって。ふぅって息をついたとき、阿部くんが笑う姿を見て肩の荷が一気に降りたような感覚があった。
その時にね、私が心をちゃんと弛緩させて、頑張り過ぎようとする手を止められるのは、この人のお陰だなぁと思った。
多分きっと、そうやってどこか阿部くんに寄りかかることで 心が息を止めずにいられたんだと思う。
学生時代大きく体調を崩すことなく、なんなら風邪をひくこともなく、心が完全に壊れてしまうこともなく 卒業の日を迎えられた背景には、
きっと変に強がりで やると決めたらとことん追い込むが故に自分に厳しくしすぎてしまう私が 私自身に「まぁいっか」を許せるようなきっかけを、阿部くんが作ってくれたからだと思っています。
学ぶ人へ、阿部くんはよく声をかける。
「大丈夫」「応援しています」
ありきたりな言葉だとしても、阿部くんが届け続けてくれることの意味を、私はとても体感していたと思います。
好きな人の言葉って魔法だから。
他の人から受け取るときはふんわりしていても、好きな人から受け取るとぎゅっとする。
心の一番奥に、ダイレクトに届く。
これはきっと、私自身も阿部くんに対して信頼をしているから成り立つ気持ちなのかもしれないけれど、そこにある言葉は“嘘偽りない“と思うんです。
同じように学びの途中でたくさんの経験を積んできた阿部くんが、
涙を浮かべながらRADWIMPSさんの「正解」を聞いていた阿部くんが、
「今でも受験生を見て心がキュッとなる時があります」「力になりたい」「頑張れって思う」と話す阿部くんが、
きっとありったけの思いを込めて
「届け」
と、書き残している言葉だと思うんです。
だからこそ、より一層胸に言葉が響き渡る。
阿部くんの言葉って いつもただ背中を押すだけじゃなくて。必ずどこかにほんの少し肩の荷がおりるような言葉が隠れてる。頑張りすぎてずっと背筋が伸びている人の 緊張を弛緩させるような言葉で。やっぱりそれは同じような経験をしたことがある阿部くんだからかけられる言葉だと、その度に思う。
好きな人がありったけの思いで書き残してくれている言葉が、胸を打たないわけがないです。
力にならないわけがないです。
そんなの、合格祈願のお守りより、お守りになるに決まっています。
すきなひとに応援されたら 頭にはちまき巻かなくたって、メラメラした思いの熱量はあっという間に最大値に到達します。
すきなひとに大丈夫って言われたら 絶対に大丈夫だと思える。自分で言い聞かせる大丈夫以上に、心の根っこを大丈夫にします。
自分に無理矢理言い聞かせる“大丈夫”は 時に呪いのような一面もあるけれど、すきなひとにもらう“大丈夫”は魔法だから。
絶対に幹がぐらつかないように、強くて硬くて丈夫な何かに支えられているように思えてしまう、そんな魔法なんです。
私には阿部くんが向けてくれた言葉一つ一つが、本当に魔法みたいに思えていました。
答辞を読むと決まった日、初めはとても驚いたし、私で良いのだろうかと心が揺らぐ瞬間もあったけど、腹を括る決意を固めたとき、「光栄だからこそ、謙遜せず、胸を張って、今ここに立つまでの努力を自分自身で全肯定しよう」と思いました。阿部くんのように真っ直ぐ前を見て、立っていたいなと思ったし、その過程にはいつだって阿部くんがいたことへの感謝がとても大きかったから、それまでの努力を肯定することは私にとっての阿部くんの存在を肯定することに近しいなと思ったから。
本当に1人じゃ手に取れなかったんだよ。絶対に。
だからね、私1人で手にした結果じゃないんです。
阿部くんの背中を見つめて、時折一歩一歩足取りを合わせながら歩いてみたり、好きな人だけど尊敬する人だ、と心の一番綺麗なところに阿部くんを置いたからこそ学べたことが凄く沢山あって。
いつだって阿部くんは太陽で、水で、肥料でした。
だからね、阿部くんのお陰。
今の場所で阿部くんが頑張ってくれたから、その頑張りに導かれて、鼓舞されて、ここまでこれたんだなって思います。
涙が溢れてしまう日も、上手に頑張れない日もあったけど、下を向きそうな日に、いつも阿部くんの存在が月の光のように穏やかでやさしく、陽だまりみたいに温かかった。その事実に幾度となく救われてきました。
「心を晴れにする存在」
「得た学びを糧に、自分や大切な人を守れる人」
「一つ一つ丁寧に乗り越えることで、学びの幹を、太くすることができます。学びへ貪欲に手を伸ばした分だけ、誰かに、優しく手を伸ばすことができます」
私が登壇に上がって話した言葉の一部。
阿部くんがちゃんと、言葉の奥にいる言葉。
阿部くんがいなかったら、立てていないから。
あの場所には阿部くんと一緒に立ったような、そんな気持ちでいました。
ふゆ on Twitter: "阿部くんが教えてくれた言葉、阿部くんから学んだこと。こっそり想いを込めた 大切な言葉。 https://t.co/7agEOu4gSU" / Twitter
ふゆ on Twitter: "実はね、帯にこっそり阿部くん色 ☀︎︎ https://t.co/O0iyAgVmU7" / Twitter
こっそり帯に阿部くん色を重ねて。
私にとって緑は、すきなひとの色は、お守りの色だから。心を1番に強くする色。阿部くんの力がちょっぴり自分に宿った気持ちになる。
私が1番に強く、凛々しくいられる色でもあるんです。
あの日、登壇に立ったとき、
阿部くんを好きになって1番、
阿部くんに胸を張れる私でした。
「すきなひとに胸を張れる自分でまた会いたいから」
と突き進んできた日々が、ちゃんと形になって大きなひとつを生んだ日。
卑下しがちだった私が、自分を認められた瞬間でもありました。
頑張ったんだな ここに辿り着くまで
頑張りきったんだな って。
自分にまた少しやさしくなれたような気がしました。
阿部くんの柔らかな眼差し越しに、自分にもやさしくするということを教えてもらったから。
弛まぬ努力を ちゃんと 肯定することができた日でした。
このときの気持ちが ちょっぴり報われた日。
努力をし続ける天才、阿部亮平さん。
そんなかっこよすぎるすきなひとに
ほんの少しでも近しいかっこよさを持てていたらいいな。
阿部くんがいなかったら、見ることのできなかった景色が、この日を迎えるまでにいくつもあって。
阿部くんが連れていってくれる景色って、コンサートだけじゃないんだなぁと思った。
それはきっと思い続けながら歩く日常の中でも、変わりゆく景色の中にもあって。
阿部くんをすきでいることが、私の大きな力になって、努力を重ねるエネルギーにもなるし、いざというときに発揮する力にもなる。
時に心が折れそうになっても、大丈夫でいられる心のつっかえ棒になるし、傷がついたら絆創膏でやさしく覆うように蓋をしてくれる。
それを繰り返しながら辿り着く場所は、絶対に自分一人では見られなかった世界で。
辺り一面がなんだか、キラキラしているようにみえて。夢みたいな現実だと思った。
きっと阿部くんだからこそだよ。
私がここまでこれた理由は、きっと 他の誰でもなく 好きになった人が阿部くんだったからこそです。
ありがとうね。
阿部くんに出会ってから、人生がとても豊かに、深みを増しながら柔らかく、やさしく、強く、広がっていきます。
阿部くんに出会える人生が私の歩く道の先に待っていて、心の底からよかったなぁと思います。
出会ってくれて、
力をくれて、
心を守ってくれて、
ありがとう☺︎
好きになった人が阿部くんで本当によかったです。
阿部くん 好きにさせてくれてありがとう。
心を甘く射止めて、その傍に落としてくれて
無意識に目で追ってしまう程見惚れさせてくれて
ありがとう。
阿部くんを好きになった世界で生きていられることが 私はたまらなく幸せです。
阿部くん すき だいすき 今日もがんばる !